2年前の3月11日午後2時46分
俺はバイク事故から2年が過ぎようとしていてまだ自宅療養中だった。
俺の母親と長女を連れて4月から高校生になる長女の高校の制服を注文に出かけ
3人で家に帰ってきて部屋でコンビニ弁当で遅い昼食。
それから当時どっぷり浸かっていたオンラインゲームしてたら「それ」は起こった。
2度の強い揺れに買ったばかりのテレビを必死に押さえて耐えたが
「これは家にいてはまずい・・・」と思い
家を飛び出したのは俺が最後だった。
家の前の道路が水浸しになっている
当時は水道管が破裂でもしたのかと思ってたが
これが液状化現象だと知るのは電気が使えるようになっただいぶ後のこと
ここは川の一部を埋め立てて作られた道路なのだ。
そして当時、中学校に通っていた次女を学校まで迎えに。
学校は高台にあり避難場所にもなっていたが家族バラバラにいるよりはいいと思い連れて帰る
そのときの海の様子
とても穏やかで津波がくるなんて言われても
「とりあえず」避難しておこう。くらいにしか思わなかった
そして津波が・・・
海のある交差点の左側から
交差点右側の奥に川があって
そこに向かって海水は流れていった。
これは当時の町の様子の空撮映像
俺の家の前も津波が通過していく様子が・・・
死者こそなかったが町が半分も津波に飲み込まれたそんな3.11だった。
多くの失われた街や命に・・・
黙祷。
そして俺は、元原発作業員でもある。
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